資料詳細
基本情報
項目 | 内容 |
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資料群ID | 9200430049 |
資料群名 | 葛野重雄氏旧蔵資料 |
資料群受入区分 | 寄贈 |
総点数 | 1274 |
原資料の所在 | 神奈川県立公文書館 |
資料群の概要 | 本資料の旧蔵者葛野重雄氏(1901~1987)は、明治34年に神奈川県足柄上郡大井町に生まれ、神奈川県師範学校、東京外国語学校、広島高等師範学校に学び、その後神奈川県女子師範学校訓導、同県師範学校教諭を務め、さらに横浜市健康教育研究主任、横浜市視学、同市教育部施設係長、疎開教育係長などを歴任し戦前の教育行政に携わってきた。戦後は、横浜市立戸塚高等学校長や聖園女子学院常任顧問などを務めた。 昭和40年代から50年代にかけて、国立神奈川教育大学設置期成会会長、神奈川県友松会(旧神奈川師範・女子師範学校および横浜国立大学教育学部の同窓会)会長、社団法人尚志会(広島高等師範・広島文理科大学卒業生による教育研究機関)神奈川支部長なども務め、神奈川県教育界における重鎮ともいうべき存在であった。 本資料はこうした経歴をもつ葛野重雄氏一代の資料群(全1274点)で、疎開関係、期成会、友松会、尚志会といった分類ごとに、些細なメモ書きから各種会議・打ち合わせでの配布資料やそれらの下書案、会議記録、手紙等々こと細かにファイリングされ、資料として大変まとまりのよい状態である。 これらのうち特筆されるのは、戦争末期の疎開関係資料と戦後の昭和46年から55年まで活動した国立神奈川教育大学設置期成会による国立教育大学の誘致運動資料であろう。 前者は横浜市職の疎開教育係長として、同市内児童の大規模疎開の事務を担っていたことから、氏が空襲の影響を考慮して自宅あるいは疎開先で管理していた公文書である。内容は疎開受け入れ先(小田原や箱根の旅館や寺院等)への依頼、疎開中の現地状況報告、戦後の疎開のあと始末など、一連の流れに沿った戦時資料といえるものである。 後者は、国立教育大学の神奈川県への誘致運動を主導した期成会の三代目会長として、昭和48年から55年の解散まで同会を牽引してきた氏の動向を詳細に伝える資料である。特に県を通じて、地元の国会議員内藤誉三郎氏や河野洋平氏から情報やアドバイスを得て文部省と折衝を続けるなど、政治色の濃い内容を含んでいる。 こうしたことから、本資料は全体的に公共的内容を含んでいるものの、公文書の方にはあらわれないものが多く、私文書の特徴がよくあらわれているものといえる。 |